エロい言葉

中学生の頃ヤフーでブログをやっていた。そのブログはどうしようもなく他愛のないことを5行ぐらい綴って終わっていて、それでもなんだか楽しかった。ただ一つずっと気になっていたのはアクセス数だった。ヤフーブログのトップにはブログのアクセスカウンターが表示されていて、リアルタイムで何時に何人訪れたかわかるようになっていた。そのアクセスカウンターが壊れたかのように、当時のブログの数字が変わることはなかった。そこでどうしてもアクセス数を伸ばしたかった僕は考え、考え、、、ヤフーのトップのブログページには人気ブログや人気の記事がピックアップされていて、その一つに新着記事一覧があった。僕はそこで表示される記事のタイトルを面白いものにすればよいと考え、結局記事の内容とは全く関係のない卑猥な言葉をならべて、いざ投稿してみたら数字は水を得たかのように跳ね上がった。実際、その新着記事一覧に卑猥な言葉の記事もあり、内容も画像付きであるものもあった。それはどうでもいいのだが、その卑猥な言葉はアクセスを稼げると知った僕は、友人にも教えてあげた。そのあとにその友人が、僕が卑猥なタイトルで記事を書いてる、という内容だけをクラスメイトに広めたため、僕は一時期ものすごくスケベなやつとして学校生活を送った。

伝えることは最後までしっかり伝えないといけない。裏を返せば、一つ欠けていたり異なった解釈で伝わると、内容は全くの別物になってしまう、ということだ。伝言ゲーム方式に、結局最後は何の接点もなくなる。だから大事なことはしっかりと伝えるべきだし、そのプロセスも重要である。と中学生で感じた。

とにかく、このブログのアクセスカウンターを見てみたところ2月20日からずっと平行線だった。壊れたのかな?本当にノート代わりになりそうだから、もっとノートのように使おうと思う。

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健康診断を受けた。といってもとても簡易的なもので、学校で年度のはじめに受けさせられるそれと同じようなもので、バリウムを飲んだり胸部X線をとったりと大掛かりなものを想像していたから拍子抜けだった。身長は伸びていないし体重は増えているし、血圧はやや高いし嫌な現実を突きつけられただけであった。視力も左右極端に違っていたし、とりあえず何かしら改善していかないと。

ここ数ヶ月、健康に気を使って食生活は少しだけ改善した、というか今まではものすごく偏食だったのを、今では野菜を多く取り入れるようにしてきた。気を使い始めてからはコーラはあまり飲まないようにし、できるだけ烏龍茶を飲んだし、毎朝豆乳だって飲んでいる。これからは黒豆茶でも飲もうか。パソコンの前にいることも多いからブルーベリーでも食べよう。

こないだ久々にスターバックスに行った。マンゴーパッションティーフラペチーノが好きだったけどあまりにも寒かったから、何かホットなものを頼もうと思っていたらあった。豆乳ラテ。健康診断で、毎朝飲んでいた豆乳も抜いていたから本当にちょうどよかった。原宿のスターバックスだったし、夕方であったから大量に人が流れ込んできた。座っていた席の隣が空き、多分スペイン語を話す二組の外国人家族が座った。やけに声が大きかった。ナショナリズムというものか。以前もそれなりに混雑した電車で、向かい合って座る外国人同士が大きな声で会話をしていた。日本人はこういうことはあんまりしないと思う。

 

ナショナリズムの違い

韓国や中国との間に色々問題があるそうだが、それらの一つは彼らがもっている反日思想からきている。このあいだニュースで竹島について報じられていた。韓国国内でのデモの映像が映し出されていたが、なぜだか子供の姿が多く映っていた。日本の子供が大人と一緒に領土権を主張するだろうか。韓国では、教育で重点的に竹島のことを学び、我が領土に誇りを持とう、と歌も歌いながらまるで国歌のように繰り返し学習していくと過去のニュースで知った。そこで反日ナショナリズムが培われていくのだろう。ナショナリズムとは、つまりその国で育っている間に生きやすくなるための思想、社会に順応するための考え方とも言える。大きく歴史や過去にそこで生きた人間の行動や思想が影響しているわけだ。

これ以上いうのには知識が足りなすぎるし、正直なにが正しいか僕自身どう考えるべきかわからない。

日本人だけ、というものはきっと少なくないがその中で大事にされるべきものも少なくないと思う。どうにか身長を伸ばしつつそれらを大事にしていきたいですね。

イスラエル

男子の羽生結弦選手に続き女子もフィギュアスケートのメダルが期待される中、浅田真央選手は本番で実力を発揮できず、順位を落としているそう。今日の深夜にもフリーの演技が終わり総合点でメダルが決まるそうだから、期待しましょう。

冬季オリンピックは日本人とは少し縁の遠い種目が多い。フィギュアスケートも今でこそ取り沙汰されているけどポピュラーな競技か、と言われればそうではなく、スケートリンクは車を出さなきゃいけないような場所にあったりする。ボブスレーをやったことがある日本人は一体存在するのかさえ疑問であるし、リュージュとかいう種目も初めて耳にした。

 

女子アイスホッケーの選手で床選手という同年代の選手がいる。彼女は若いながら、日本の守りの要として試合に大きく貢献していた。くしくも結果は8位に終わってしまったが、オリンピック出場の功績はきっと大きい。その床選手、首もとに大きな傷痕を作っている。彼女はバセドー病という病に罹っていたらしく、その傷痕は手術の痕であるそう。女性として、目に触れるところに大きな傷痕を作る、ということはとても悲しいことだろうが、彼女はいち早く完治する手術を選び、選手生命をまさに首の皮一枚といったように繋いだ。

彼女の気持ちはわからないから、その傷痕に関してどう思っているのかはわからないけど、少なくとも若い間は消えない傷痕を見ていくことにマイナスな思いはあるだろう。それはつまり、普通の状態ではない、ということ。普通ではない状態で過ごしていくこと、それは辛いし、常にストレスが付きまとって生活をしていかなければならない。病気にならなければ、選手としてブランクがなくもっと成長できたかもしれないし、当然痕もない。

そういったなにかしらの"痕"を持って生きている人は多分少なくない。「なんでこんな思いをしなければいけないのか」「明日にはすべて治まっていないか」「5年前に戻りたい」この先一生抱えていかなければならないようなことなんて、考えてもやりきれないし、かといって考えないこともできない。他人の見ては、いいなぁ、と思うがその他人も他人で同じように思っているだろう。

イスラエルと比べたらきっとちっぽけだろうが、そういった痕にきっと大小はなく、1つの痕が1つ分カプセルになって脳汁当たりに浮かんでいて、その1つがさらに2つ3つとカプセルを増やし、分子になるようにカテゴライズされてそれが大きいと感じるのだと思う。僕も多分4分子分くらいは傷痕を浮かべているがイスラエルと比べたらやっぱり小さい、というより贅沢なものかもしれない。

それは日本に生まれてきたから仕方ないけど、でも傷痕は背負って、また作りながら進んでいかなければならないし、どうしてもだめになったらイスラエルにでも行けばいい。現地人の悩みを理解して自分がいかに贅沢でばかばかしいか感じることが少しできるかもしれない。ただそれはまたすぐに忘れてしまうだろうから死海でもみて帰ってくればいい。


La'cryma Christi - ISRAEL [LIVE] - YouTube

 

 

 

春の歌

まだまだ寒いですね、

残雪に足をとられないように気をつけて

 

最近はいい音楽と巡り会えなくて昔聞いていたバンドを聞いてみたり、棚の奥からピアノのコンサート曲集とか引っ張りだして、深夜にフランツリストをONKYOのスピーカーで床に響かない程度に流したりしている

うちにはこんなにクラシック音楽のCDがあったんだ、ということに気づいた

ピアノを習っていた時はモーツァルトが好きと言ってみたりしたが、その当時はモーツァルトくらいしかしらなかった。トルコ行進曲を目標にやっていたのだけれど、結局トの字も触れずにピアノは通わなくなった。もっとしっかりやっていればなぁ。

 

今年に入って久々に曲作りを始めた。バンドをやめた1年半ぶりくらい。宅録用の機材もある程度揃えて、その分金も使って今細々と作業をしている。それにしても知ることが多すぎる。DAWってなに?midiってなに?サンプルレートってなに?sin波ってなに?趣味の領域でないと思いながらも調べて、録音して、失敗してやり直してまた調べて。底なしだった。曲作りも昔はある程度作ってスタジオでメンバーと形にしていってたからある程度だったけど、今は全て自分でやっていく。時間はかかってるけどやりがいがある。まだまだ何も知らないようなもんで、自分でもかわいそうなくらい手探り。そろそろミックスに入れそうだけど先は長い

 

春の歌

 

春は歌にしやすいのか、春の歌は多い、夏の次に、冬と同じくらいに。秋の曲が少ないだけかな?今作っているのもそんな感じ。でもそういう歌を聞くと、どの季節でも共感しやすい言葉が選ばれている。情景描写、なんかテクニック的な感じだけど心に残りやすい。その分大昔はそれを5・7・5・7・7で表現してたんだもんな。すげぇ。言葉とか文字とかありふれているけどそれが心を動かしたり人生を変えていく。

とにかくそんなようなちょっと心に残る言葉を選べたらな、と思う

歌詞をみながら曲を聞くのは二度おいしい気分。

 

これからまただらだらと作業を続けます

今月中には完成するといいかな、春の歌、花粉が心配です

八王子

受験のシーズンももうじき終わるって

今まで高校受験や大学受験は回避してきて先月までのっぺりとした大学生活を送っていた。今は真冬の春休みでただただ時間を浪費している。もうそろそろ昼間に目を覚ますのをやめたいところだけどアラームの音量が足りないようで起きることができない

 

大学は八王子の近くにある。1年ちょっと前まで八王子に行くことは予想もしていなかった。はじめて改札を抜けたときは帰りを心配した。改札は一カ所で、作りはまるっきし地元川崎と同じである。なんとも言えない

八王子にはファンキーモンキーベイビーズという強いサポートがあったが川崎にはない。強いて言えばSAKULANベィビーがいるくらい。中学生のときに組んだバンドの名前。話はしてないけど解散なのかな?

何となく町の雰囲気も似ているし今はそれなりに愛着のあるところだけど、八王子は今すごく寒いらしい

雪もすごいらしい

人に埋め尽くされた新宿と雪に埋め尽くされた八王子の中継が交互に放送されなんだか面白い

家の周りも段差と地面との境目が消えてしまうほど雪で覆われている。この非日常感はたまらない

この感じが毎日の基準をさりげなくつくっていて、雪だから出勤できない、雪だけど出勤する、雪だからこそ出勤してみる、何も関係ない、最低でもこのどれかの気持ちが働いて家を出たり出なかったり待ってみたり

明日は雪らしいから明日のものは今のうちに買っておこう、だとかもそう。そういうのはほとんど無意識というか、雪→足がなくなる→今のうちに、とか、雪→自転車じゃなくて歩き→早く家を出ようって思考が自然に構築されてると思うけど、それをわざわざ、わざわざ家をでるときに「あぁおれはいつもあと30分は家にいるんだなぁ」と考える。その30分は、絶対値よりも、生活レベルだとけっこう離れている。その30分間、いつもなら寝ているのに、と思うと自分の生活はそうやって成り立っているって実感する。

小さく生活を変える

こういう変化や感覚は心地いい

自分の生活に基準がある。なくてもいい。でもその基準との差が生活を飾ってくれる、今日は白く

今日は結局家を出なかった。出たくなかったし。ピアノを少し弾きたかったし曲作りもしたかったし。

でもブログをはじめたよう。晴れていたら?

これが小さな変化で停まらないといいね、色々とどこかで影響して、大きく変わって、心地よさが緊張に変わる、大きな変化は緊張

何より関東に住んでいてよかった

 

父親は犬と散歩に出かけたけど犬が凍傷しないといい