機種変更をして、前のやつよりも充電の持ちがいい。前のは出掛けて家に帰る頃には充電はほとんど無くなっていただ、今のはそれでも余る。寝る前に20%を切った状態で充電するのが理想だけど、最近は35%くらい残してしまうから15%を使うためにわざわざ動画を再生してみたり犬の写真を撮ってみたりと無駄に時間を過ごしてしまう。今日はわけあって帰りが遅く、4時頃になって布団に潜り込んだが、それでも40%残っていた。充電せずに寝てしまおうかと思ったのだが、明日起きてすぐ出掛けるようなことが起きたら、と思ったら残り20%を使わずにいられなくなった。そんなこんなでゲームアプリをやっていたが、とうとう今できる分をやり尽くしてしまったためこうして記事を書くことにした。
最近のスマートフォン事情についてはまた今度、Xperiaの新作が発売になったときにでも書こうと思う。
今日人と食事をしてて思ったのが、最近自分のどうでもいい、それこそ上記のような充電がああだこうだと言う話をすることが増えた。豆乳は体にいいんだ、とか服の小さなこだわりとか、好きな匂いとか。相手は聞いててどう思ってるか分からないけど、そういう個人的なことを話しているのは悪くない。つまり、個人的などうでもいい話を聞いてくれる人がいいな、そう思った。聞くことは嫌いじゃない、むしろ昔は聞いてる方が楽だったし好きだったし、自らネタを持ってくるようなこともあまりしなかった。なにが変わったのか分からないけど、自分の中の何かが確かに変わったような気がする。冷静に考えれば、自分の話しかしないやつなんて空気の読めないこと極まりないが、そこは、自分の空気を持ち込んでいるときにしか話していない、と思う。
そういった人間関係のことだが、この間みたドラマ、月9の松本潤石原さとみのドラマでいいセリフがあった。「気を使わない仲がいいんじゃなくて、この相手になら気を使ってもいい、と思える仲がいい」うろ覚えだがこんなようなニュアンスだった。よく、気を使わない仲、と言うようなことがあるが、言いたいことは分かるけど気を使わないのはどうだろうな、と今までモヤモヤしていたが、こう言われて、なんだがすっきりした。気を使う、というのはやはり気疲れしてしまうものだ。その気疲れがない、という意味では、気を使わない仲、というのと気を使ってもいいと思える仲は、共通項のような気がするが、気を使ってもいいと思える仲、にはすごくしっくりさせるものがある。あぁこいつの話なら聞いてやってもいいな、僕の話を聞いてそう思ってくれたらすごく嬉しいことだし、多少つまらない話でも、こいつなら聞いてやってもいい、そう思える相手なら僕を聞いてあげることができる。男女が別れる原因は、そこで生じたほころびかな、とも思うと尚更しっくりくる。気を使わない、ということはきっとなくて、気を使ってもいい、という真意を孕んでいるのだ。相手に合わせる、それにどこか窮屈さを感じると知らず知らずのうちに距離が生まれていくのだろう。それに心地よさを感じている間はきっと平気。
とはいっても、人付き合いとはそんな一筋縄にはいかない。僕は互いにどうでもいいことをべらべら話せていればいいや。早起きのみなさん、おはよう。